多和田葉子『かかとを失くして』

多和田葉子『かかとを失くして』

鞄の中の帳面は角ばって、いやに大きく感じられた。むかし子供っぽい空想に駆られて、これとそっくりの帳面に私は、世界旅行の物語を書いたことがあったが、今は帳面は白紙で私自身が遠い国に来てしまったのだから、自分の小説に養女にもらわれたようなものだ。

 

 

最初に言っておくが、一文が長いこと長いこと。そして改行も段落も少なく文字が連綿と続くので、ふと本から顔を上げたとき世界がぐらぐらと揺れているような感じがする。

九時十七分着の夜行列車が中央駅に止まると、車体が傾いていたのか、それともプラットホームが傾いていたのか、私は列車から降りようとした時、けつまずいて放り出され先にとんでいった旅行鞄の上にうつぶせに倒れてしまった。 

 読者はこの「私」と同じ目眩の中を一緒に歩んでいくことになる。車体が傾いているのか、プラットホームが傾いているのか。文章が傾いているのか、世界が傾いているのか。

あまりにも連綿と続くものだから、一体自分がどこを読んでいるのかも分からなくて覚束なくなる。必死に指先で文字列をなぞる。場所が分かっても、今度は文章がうねうねと動いてすり抜けようとする。動作主が誰なのか、長い修飾句がいったいどこにかかっているのか、頭をひねる。

この感覚はそうだ、外国語で物語を読むときに似ている。

 

「私」は列車を降りた瞬間から不安定の中を歩き続ける。「私」は鞄の中にゆで卵を入れているが、ここでは卵は卵立てに入れて食べるらしい。平均入浴時間はシャワーで二分十七秒、そしてみんなにはある、かかと、が「私」にはない。かかとがない、ということは、その共同体に馴染むための素地や基盤がないということだろうか。

異文化の波の中で、まなざされ、指さされ、ときには不躾に手を伸ばされながらも、「私」は決して馴化することはない。学校の先生や病院で会った人に、いちいち口ごえもするし、足にプラスチックを入れるよう手術を促されても、それを頑なに拒む。そういえば、この作品が群像新人賞を受賞した当時、タイトルは『偽装結婚』だったそうだ。多和田葉子も前のタイトルの方が自分の言いたかったことを表していると、文庫版のコメントで述べている。『かかとを失くして』だと「失いたくなかった何かを失くして悲しんでいるように見える」からだ。「私」はかかとを手に入れようともせず、一方で、かかとが無いことをそれとなく隠そうとする。そして、その共同体に属せない異質な目線から、不安定な目線から、人や風景を切り取り、淡々と描写していく。

 

 ところで、足にプラスチックを入れてかかとを作れば「歩き方が変わる」らしい。「歩き方」が違うなら、かかとが無いことをどうやって隠せばいいのか。異国の街を歩く人は、その身振り素振りで、異邦人だと暴くまでもなく明らかなのだ。私はなんだかドキッとする。「私」がかかとのないことを子供達に笑われるのを見て、異国の地で街を歩くだけで、若者たちの奇妙な視線を集めたことを思い出す。

私が言葉がわからないと思っているらしいが、わからないのは向こうの方で、私がお金がない、と言っても何も反応せず同じ身振りを繰り返していた。

 さらに、「わたし」が街を訪れた当初、子供達も街の人たちも、「わたし」が何かを話そうとするのに、その言葉を理解しようとしない。学校の先生だけが怪訝そうな面持ちで「私」の相手をしてくれる。「私」は先生の態度に不安になったり腹が立ったり、そして一人で食事をし、眠る。そういう日々が1日、そしてまた1日と続いていく。

 

偽装結婚をした夫は一切、「私」の前に姿を現さない。代わりに、夜な夜な違う姿で「私」の夢の中に現れる。ある夜、男は結婚適齢期で働き盛りだった。

夫は癇癪を起こして、なぜ答えない、聞こえないのか、と怒鳴って、私の耳の穴に万年筆を突っ込んだので、黒インクが鼓膜に染みてさらに体に侵入していった。インクが体に入ってしまえばおまえも俺の仲間だなあ、と言うので、どうしてですか、インク壺じゃあるまいし、それより私の帳面を返してください、と言ったところで目が覚めた。

夫は「私」の体を黒インクで満たして「仲間」にしようとする。黒インクといえば、この小説にはいたるところでイカが出てくる。「私」は子供たちから「旅のイカさん」とバカにされ、初めて入った店の手伝いでイカの耳をむしらされ、最後のシーンで夫の部屋だった場所に転がっているのも死んだイカ

 

私は異国に馴化するのがすごく苦手な方だと思う。あいにくドイツには行ったことがなく、思い出すのは、霧に包まれたトリノで 、学校へ向かうために川沿いの道を歩いていたときのこと。枯れ木のように佇む物乞いの老婆や、犬を散歩する若夫婦や、黒ずんだ手でタバコをふかす移民や、ポーカーに興じる男たち…「旅のイカさん」だった私は、そんな人たちの前を逃げるように通り過ぎた。共同体に馴化できないイカさんが、世界の異化の可能性を秘めているなんてことがあるのだろうか。

 

あのときの私には出来なかったことが、この不安定な文章の中から見つかるだろうか。多和田葉子は日本語の中で生きるのでもなく、ドイツ語の中で生きるのでもなく、その両者を混ぜ合わせ、そして壊そうとしている。

 

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